大腸癌/腸閉塞から・・・/癌告知/癌専門病院へ/余命宣告/腹膜播腫/息子として出来る事/父への告知/父への告知2/心を救う/試験開腹術/奇跡的な結果
HOME
| 大腸癌 |
昭和15年生まれ、その時(平成16年)64歳の父は若い頃から胃腸が弱く、十二指腸潰瘍、盲腸、痔、ついでに蓄膿症と、手術を受けてきました。 特に若い頃の盲腸と十二指腸潰瘍の手術痕は酷く、私は子供の頃から「何で父にはお臍が沢山有るんだろう?」と思ってました。 10月頃から胃腸に異常を感じていたらしく、私は「いつもの事」と気にも止めていませんでしたが、地元の個人総合病院「S総合病院」へ行ったと言う事でした。 今思えば、父は病院が嫌いなので、余程痛みと苦しみが有ったのだと思います。 診断結果は「大腸内ポリープ」で、小さな物が三つほど有るとの事でした。確かCT、レントゲン、大腸内視鏡での診断結果でした。 手術法は腹腔鏡手術と母から聞き、素人なりに「細胞検査の結果を待つだけ。ただのポリープだろう」等と安心して居ました。 叔父(父の兄)が何度もポリープの切除手術を受けていたので、家族・・・本人でさえ2〜3日の入院と考えていたのです。 手術の日、兄と同じ仕事をしているのですが、昼休みに携帯へ母から電話が入りました。 母は可也動揺しており、「手術直前に書類にサインをしてくれと言われた。手術で何が有っても責任を問わない・・・みたいな事が書いてある。どうしたら良いか解らない」と。 詳しく聞いてみると、どうも「輸血に関する書類」の様でした。とりあえずもう父は麻酔を終え手術室に居ると言うので、母には「サインをして病院の指示に従うように」と言い聞かせました。 仕事の合間に兄と「腹腔鏡手術にしては様子がおかしくないか?」と、少しづつ不安が芽生えて来たのです。 元々仕事の帰りに病院へ寄る予定だったので、その後連絡がなかった事で少し安心しながらS総合病院へ。 父の名前を言い中に入り母と会うと・・・・「さっき手術が終わった」と言うのです!しかも今はICUに居ると。相変わらず動揺している様子でした。 「ポリープを取るだけ、簡単な手術、2〜3日で退院」の筈でしたが、ICUで見た父は体中に管や機械を付けられ、口を薄く空けたまま唸って居ました。 明らかに苦しんでおり、私達を見ても「う〜・・・お〜・・」と言葉が出せないのです。母に聞くと手術時間は6時間!「先生から説明を受けたが、良く解らない」と。 ICUに居た看護士に説明を求めましたが、「詳しい事は解りません。先生はもうご帰宅しました」の答えです。 兎に角、母に落ち着いて先生の言葉を思い出して貰う事にしました。覚えていた言葉が・・・「癌に成り掛け」「レベル3」です。 そして電話で聞いた書類は、やはり輸血の承諾書でした。 私と兄は黙っていられませんでした。母もその時64歳でしたが、ここで書いて解るように医学用語など解る筈が有りません。正直、田舎生まれの田舎育ちです。 大事な事は家族へ説明する義務が有る筈ですし、納得できそうもないと判断すれば、家族構成は解っている筈です。 40前後の息子が二人も居るんですから、電話なり書類なり引き継ぎなり、納得行く説明をしてしかるべき・・・と思いました。 夜の7時頃でしたが、担当医に電話をして貰い説明を求めたのです。少し揉めましたが、とりあえず「今から説明に行きます」との事でした。 担当医は偶然にも父や母と同じ年でした。直ぐに別室へ通され今回の手術の説明が始まりました。・・・・が、「理解して貰おう」と言う姿勢の説明では有りませんでした。 勝手にドンドンと話を進め、途中で質問をしようとしても納得出来るような答えもせず話を飛ばしてしまいます。正直、父の担当医でなかったら呶鳴り付けていたでしょう。 しかし、どうしても理解出来なかったのが「レベル3」の言葉です。幾ら素人でも、癌にはステージやレベルと言った癌の進行判断基準が有る事は知ってます。 「レベル3ってどう言う意味ですか?癌のレベルって細胞検査しないと解らないんじゃないんですか?」 つまりは「目視で癌の可能性が有る」と判断し、念の為に大腸の一部ごと切除しようとしたが、大腸が十二指腸と癒着していた為、剥離するのに時間が掛かった・・・と言う訳です。 剥離を決断した時点で、出血の恐れがあるから母へ輸血の同意を求めた・・・と。これは今だから解る話で、その時の説明では全く解らない説明でした。 結局私達から見たら「言いたい事だけ言って帰った」と言う感じです。如何にも「言葉で捻じ伏せよう」と言うイメージでした。 兎に角「癌の恐れが有る」と言う事だけは解りました。勿論検査結果に関しては「母は難しい事が良く解らないので、結果が出たら兄か私に説明をして下さい」と要望を言っておきました。 話の後、父を安心させる為にベットの傍らへ行き「腸がくっ付いてたから剥がしたらしい。手術は成功したから大丈夫」と伝えました。 父は絞ったような声で「し・・・失敗・・・・手術・・・・失敗」と、眉を顰めておりました。短気な父は、余程痛みが激しかったのでしょう、「こんな痛い手術は失敗だっ!」と言いたかったのです。 それを聞いて逆に皆安心し、母を付き添いに残し兄と私は家に帰ったのでした。 その後一ヶ月位入院したでしょうか?随分長かったのを覚えてます。そして肝心の検査結果も結局兄と私には説明無く、母にしただけでした。 案の定「癌の成り掛け」とか「癌に成りそうだった」と言う大雑把な説明で、私と兄は「病院へ説明を受けに行く」と言い張りました。 しかし、父と母は昔の人間です。「これからもお世話になる病院だから、なるべく揉めないで欲しい」・・・仕方が有りません、その後の定期検査の結果を待つ事にしました。 半年後・・・異常無し。一年後・・・異常無し。「大腸癌はやっぱり初期だったのか・・・」と安心した2年後、大腸内にポリープが2個ほど確認されました。 このポリープは内視鏡を使った簡単な手術で直ぐ取れ、細胞結果も「良性」でした。 前に書いた叔父も何年か連続でポリープを切除しており、全て良性で「もうポリープは飽きた」と良く聞かされたました。 「兄弟だからポリープが出来易い体質が似てるんだ」と思い、きっとこれからもポリープが出来ては切る・・・を繰り返すのだと思ってました。 そしてそのまま3年後、検査結果は「異常無し」でした。こんな私でも「癌の再発は5年を超えれば安心出来る」位の知識は有ります。 もう癌の心配よりも、他の病気にならずに長生きしてくれれば・・・と、まぁ普通の孝行息子です。 |
大腸癌/腸閉塞から・・・/癌告知/癌専門病院へ/余命宣告/腹膜播腫/息子として出来る事/父への告知/父への告知2/心を救う/試験開腹術/奇跡的な結果
HOME