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余命宣告

K癌センターへは途中から高速道路を使っても1時間半は掛かります。予約の日、方向音痴の私は余裕を持って2時間半前に家を出ました。

案の定道に迷いましたが、何とか予約時間には間に合う事が出来ました。勿論父、母、私の三人で、兄には仕事でバックアップして貰っていました。

受付で紹介状と資料を出し、初めて「癌専門の病院」へ入ったのです。その時は「とうとう来る所まで来た」と思いました。何しろ患者さんは全て癌の方だけです。

更にその先が有るとは思っても居ませんでしたが・・・・。


消化器外科の待合室で、待つ事1時間半。「こんなに待つ物なのか?」と思いながらもひたすら待ち続けました。

しかし、予約画面に出ている私達の後の患者さんが、先に呼ばれて入って行ったのです。その時に初めて窓口で「順番が違っていないですか?」と聞きました。

「ちょっとお待ち下さい。調べてみますので」と言われた後「次に呼びますので少々お待ち下さい」との事でした。

そして紹介状に書いて有った「SS先生」に呼ばれ、初めて診察室へ入ったのです。


まず最初に言われたのが「3年前の大腸癌の再発ですね。そう考えるのが普通です。S総合病院と同じく、切除も治療も不可能です」でした。

まさかここまで来て、同じ診断を聞かされるとは思いませんでした。しかし、S総合病院とは違う見解が有ります。

「S総合病院では再発の可能性は0に近いので考えられない。新しい癌で、そのままでも大丈夫な人も居る・・・と聞きましたが?」と質問してみました。

「確かに0に近いですが、私は癌専門でその0に近い筈の患者を何人も見て来てます。再発と考えて間違いないです」の返事でした。

確かに「再発」の言葉は怖い物でしたが、癌の正体が解れば治療出来るのでは?とも考えました。

ここからまたS総合病院での遣り取りと同じになります。「何かないですか?」〜「何も無いです」の繰り返しです。

これでは意味が有りません。一歩でも話を先に進めようと「治療に繋がる為に必要な検査があればして頂きたいんですが、どうでしょうか?」と切り出してみました。

そこで初めて「まだしたい検査は有りますけど、これはセカンドオピニオンですからねぇ。ここに有るデータで判断するしか出来ないんですよ」・・・と!

その言葉を聞いて初めて「セカンドオピニオンがどう言う物なのか」が解り、「転院手続じゃなくてセカンドオピニオンの手続しかしていなかったんだ」と気付きました。

SS先生にその事を説明しました。「私はセカンドオピニオンではなく、転院をお願いしてここへ来ました」と。

ですが、返って来た言葉は「30分の予定がもう1時間も経ってるんですよ!貴方達も「待ち時間が長い」と受付に言ったようですが、次の患者さんが待ってるんです!」・・・でした。

父も母も何も言わず黙っていました。「絶対私がひるんではいけない!!」と思い、「足らない検査が有るのならして下さい。転院の手続をして貰います」と新たに転院手続をする事を申し出ました。

「それじゃあ手続をしましょう。必要な書類とS総合病院への手紙を書いておきます。後で窓口で貰って下さい。今日はこれで・・・」


「癌で切除治療不可」の結果は変わりませんでしたが、「大腸癌の再発」と言う新しい情報は得られました。しかも癌専門の先生だけあって自信を持っているように思いました。

第一「0に近いケースでもそのケースを何度も見て来た」と言う位ですから、やはり癌のエキスパートなのでしょう。

そのSS先生の診断を是非聞いておきたい・・・と私は思いました。つまり「癌専門医から見る父の病状」です。

父と母が診察室から出た後、「ちょっと先生に聞きたい事が有るから先に行って待っててくれ」と、先生と二人きりになる事にしたのです。


「先生、父と母に言いずらい事が有ったら私に言ってくれませんか?可也悪いんでしょうか?」

「データを見る限りでは・・・・可也悪いと思って間違いないでしょう。これからする検査で治療法が見付かる可能性は低いです」

「例えば・・・・生存率とか、余命とかは解るんでしょうか?」

「余命は・・・・早くて3〜4ヶ月ですね」

不思議な事に、ここまでの会話でも私は動じませんでした。・・・と言うより、「夢を見ている感じ」がして、ドラマを見ているような・・・まるで他人事に感じたのです。

自然と出た質問が

「でも・・・あんなに元気ですし、食欲も有ります。先日まで酒も飲んでいたんですよ。それでも?」

「ああ、それは自覚症状が無いだけです」

ここまでです。何故か?この一言を聞いた途端、感情が高まり、積を切ったように涙が止まらなくなったのです。「これは夢でもドラマでもなく、現実なんだ」・・・・と。

ずっと泣き続ける私に、SS先生も看護士も困ったと思います。時間を気にしていたSS先生も黙って何も言いませんでした。

そして暫く経ち(1〜2分だと思います)SS先生が「お父さんをここへ呼んで下さい」と私に言ったのです。

私はビックリしましたが、勿論直ぐに呼びに行ける筈が有りません。私が泣いているのを父と母に見られる訳には行かないのです。

「先生、少し待って下さい」とお願いし、ティッシュを貰い涙と顔を整えました。「もう大丈夫だろう」と思ってから、何事も無かったかのように待合室へ行き父を呼びました。

「先生が聞きたい事が有るから来てくれって!」・・・自分なりに普通に振舞ったつもりですが、もしかしたら父も母も何か怪しんだかも知れません。

SS先生は父に「親戚に癌で亡くなった人は居ないか?病歴をもっと細かに知りたい。」と言い、私と母を外に出して触診をしてくれました。


初日のセカンドオピニオン(結果的に)は終わり、手紙と返さなければいけない資料を貰いそのままS総合病院へ向かいました。

その帰りの道中・・・・今でも忘れられません。極普通に振舞い、時折父と母に他愛も無い話をしたりしましたが・・・バックミラーで父を見る度に「余命3〜4ヶ月」「今は自覚症状が無い」の言葉が頭の中をグルグル回ります。

「私が泣いた事に気付かなかっただろうか?」「これからどうなるのだろう?」・・・・不安ばかりが心を過るのでした。

私と兄は「もしも」に付いて予め相談しておりました。まず「本人と母には言わない」と決めていたのです。

本人は以前「俺が癌でも絶対言うな。生きる気力が無くなる」と言ってましたし、母は気が弱く血圧が高いので病院へ通っていたのです。

「まだ治療法が無いと決まった訳でもない。諦める訳には行かない」そうは思ってみても、兄には言われた事を報告しなければなりません。

仕事から帰って来た兄は、そっと私の部屋に入って来て「どうだった?」と聞きました。既に父と母とは話したようでしたが、「同じ事言われた」との返事だったそうです。

とりあえず私もK癌センターでの事を全て話しました・・・・・余命の事を抜かして。全て話してからでないと、きちんと喋れる自信が無かったのです。

そして最後に、「父と母に内緒で、先生に余命を聞いた」と切り出しました。兄はビックリした様子で「で、何て言った?やっぱり解らないって?」と

「余命は・・・早くて3〜4ヶ月らしい」・・・・またも言葉に出した途端、不覚にも涙が出てしまったのです。兄の「!!まさかっ!」と言う言葉を聞き、余計に泣けてしまいました。

涙を拭いながら、「兎に角これからは今までの生活が出来なくなると思った方が良い。俺は親父の可能性に全て賭けるつもりだから、兄貴は仕事でサポートして欲しい」と話し合いました。

この時は「癌は本人に知れてしまったけど、余命は絶対誰にも話さないようにしよう」と誓ったのでした。


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