大腸癌/腸閉塞から・・・/癌告知/癌専門病院へ/余命宣告/腹膜播腫/息子として出来る事/父への告知/父への告知2/心を救う/試験開腹術/奇跡的な結果
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| 腹膜播腫 |
S病院での「転院手続」の資料が出来るまで、K癌センターでは「多分時間が掛かる」との事でしたが、実際は直ぐに出来てしまいました。 私としては「一刻も早く」と思ってたので「折角早く資料が揃ったんだから、K癌センターの予約も早くして貰うか?」の意見も、余命の事を知らない両親は「良いよ予約通りで」と嫌がります。 兄も「悪い結果なのは本人知ってるんだから、少し落ち着かせてやった方が良い」との事で、予定通り金曜日の受診にしました。(SS先生は火、金担当) とりあえず足らなかった検査データや3年前の大腸癌のプレパラートやデータを持って行き、その日に出来る検査、今後の検査予定を決めました。 「悪性の腫瘍」とか「腫瘍の場所」「再発」とは聞いた物の、正式な病名はまだ一言も聞いては居なかったのです。 その日に出来る検査をしている間、SS先生は新たなデータと検査結果を見て診断を決めていました。 検査を終えて診察室に戻ると、SS先生から「病名が解りました。腹膜播腫です」と言われます。正直「え?腹膜播腫って何?」と思いました。 普通は「○○癌」とか「○○癌再発ステージ○」とか言われると思ってましたから・・・・。診断書も見せて頂きましたが「腹膜播腫」と書かれてます。 きっとSS先生が先に言ってくれなければ、何と読むのかさえ解らなかったでしょう。 私も両親も「え?腹膜?播種?」とオロオロしていると、「そうです、腹膜播腫です」と・・・2〜3度言われました。 何度も言うので逆に不自然に感じた位です。今思うと「これで諦めろ!」と言う事だったと思います。 病名は解らなくても、聞く事は同じです。「兎に角治療法は?」です。 「原発が不明な限り、治療は出来ません。S総合病院で緩和ケアをお勧めします。」 両親は「緩和ケア」を治療の一環と思っていたらしく、更に地元の病院で出来るのなら・・・と思ったらしいです。 それでも「原発が解れば治療法は有りますか?可能性は有りますか?」と詰め寄る私に、SS先生は「原発を探すのは困難ですが、探す為の検査は有ります」の返事です。 父は「検査」と聞いてうんざりしていた様子でしたが、「折角転院手続してここまで来たんだから、やれるだけの事はやって貰おう」の説得に渋々頷いてくれたのでした。 来週から連日のように始まる検査に備え、その日からなるべく病院の帰りには一緒に食事をし、飲める時は酒も飲むようにしました。 そして・・・やっと解った病名「腹膜播腫」。ネットで調べようにも、電話相談で聞こうにも、病名が解らなくては動きが取れませんでしたから、ここから私の活動が始まったような物です。 まぁ、調べれば調べるほど、何故SS先生がこの病名を連呼したのか?身に染みて解る事になるのですが・・・・。 腹膜播腫とは・・・・病名と言うよりは「癌の状態」に近い物です。「末期癌」ではなく「癌の末期状態」と言う方がしっくり来ます。 原発が不明では何とも言えませんが、癌細胞が腹膜内に飛び火した状態です。検査で確認出来なくても、開腹して目で見えなくても、癌細胞が腹膜中に散らばっているのです。 しかも父の場合、最も大きな腫瘍が二つとも切除不可能な訳です。これではS総合病院でもK癌センターでも投げやりになるのも無理は有りません。 しかし、腹膜播腫でも「全く治療法が無い」と言う訳では有りません。私が不服だったのは「アドバイスも無い」と言う言葉でした。 実際治療してくれる(勿論完全に治ると言う事ではない)先生や病院も有るのですから、少しでも可能性の有る道は有ります。選択肢は有るのです。 ちなみに腹膜播腫の病名を宣告された時は、「余命、生存率」に付いての質問には「解りません」の答えでした。 「5年生存率5%、殆どが半年から1年で・・・」調べれば直ぐに解る事でしたので「言わずとも解るだろう」・・・と言う事だったのでしょう。 |
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