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息子として出来る事

正直、私は小さい頃から父が大嫌いでした。殆ど働かず、いつも酒に酔っていた記憶しか有りません。

働かないのですから勿論家は貧乏で、住んでいる所も恥ずかしくて友達を呼ぶ事が出来ませんでした。

酒癖の悪い父は、よく母の髪の毛を掴んで暴れていました。そんな場面を何度も見ていましたから、父を怖がりはしましたけど、好きになれる筈が有りません。

そんな父が変わったのは、兄が中学3年の高校受験の頃でした。何時ものように酔って騒いでいる父を、兄が殴ってしまったのです。

私が学校から帰ると、兄が倒れ、その上に母が覆い被さり、父がその横に立っていました。更にその横には壊れたポットが有りました。

父は兄に殴られた後、ポットで兄を殴ろうとしたらしいです。それを母が庇い、ポットは母の頭に当たって砕けた・・・との事でした。

私が帰ると、父は兄を外に呼び出し「掛かって来い」と言ったらしいです。(私達は来るなと言われました)

兄はそのまま黙って何もしなかったようですが、それから父は変わりました。勿論直ぐに変わった訳では有りませんが、徐々に柔らかくなって行きました。

私も碌な息子ではなかったので、高校を強制退学されたんですが、その時も父は黙って「一緒に酒でも飲みに行こうか」・・・と一切怒りませんでした。


何故?急に父との思い出話をするのかと言うと、ここからは「心の問題」になるからです。

癌告知、余命宣告をされ、両親とも医学の知識も無い。勿論ネットで調べたり、実際電話したり病院へ行ったりと言う事が出来ません。

今までの病院での話も、両親はハッキリ理解はしていないのです。父の気持ち、母の気持ち、其々を考えて行動出来るのは私しかいないのです。

兄は私と同じ仕事をしているので、2人同時に休む訳にも行きません。そして情報収集や行動力に関しても私の方が向いていたのです。

S総合病院やK癌センターの言うように「諦める」と言う選択肢も有りました。今は元気な父なのですから、このまま余命を有効に使う・・・と言う事も間違いでは有りません。

父も母も「癌で可也悪い状態」と言う事は解ってます。知らないのは「腹膜播腫の意味」と「余命」です。

その状態で、何処まで父が治療を求めるか?それが問題でした。

兎に角「治療法が有るなら任せる」と言うので、原発を探す為の検査はしてくれました。S総合病院から検査続きの父には、可也辛い物だったと思います。

私も週に2〜3日休みながら、片道1時間半の病院へ送り迎えをしました。肉体的な負担は兎も角、精神的な負担は可也の物でした。

K癌センターでの対応も「言われたから遣る」と言う感じで、「こちらが勉強して質問しないと駄目なんだ」と思い知らされました。

決して親孝行だとは思えませんが、この頃の私は「父の為なら何だって遣ってやる」と思ってたのです。


大嫌いな父でしたが、今元気に笑っている父が、後数ヶ月で居なくなってしまう・・・何て考えられなかったのです。

この頃は毎日が情報収集の日々で、病院で休める平日は市役所で医療関係の手続、腹膜播腫でも治療してくれそうな病院への電話・・・時間の有る限り可能性を模索していたのです。

「何か有力な情報はないか?」と、仕事から帰って来ても癌に関するサイトを見てばかり・・・兄には「精神的に良くないから、もうサイト収集は辞めろっ!!」と言われた事も有ります。

何しろ「腹膜播腫」に関するサイトは殆どが悲しい結末ばかり。絶望感だけが増して行ったのです。

勿論父の前では落ち込んだ姿は見せられません。「SS先生は治療法は無いと言ったけど、俺が調べたら治療法は有るから」と、極めて低い治療法しか見付かってませんでしたが、それとなく勇気付けておりました。


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