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| 父への告知 |
相談室や病院への直の電話では、何も良い情報は得られませんでした。「暖和ケアの薦め」や1クールで何百万もする標準外治療。 それも抗癌剤と併せて5年生存率がホンの数パーセント上がると言う物です。 父の場合は原発不明なので抗癌剤も解りません。それでも・・・とその病院へ電話で説明をすると、「原発不明腹膜播腫」と言うだけで親身になってはくれません。 「とりあえずセカンドオペニオンで・・・」の言葉、何度聞かされたか解りません。それでも「もしもの為」と言う事で「資料請求」をし、病院までの交通手段を記録したりしてました。 兎に角、「自分のしている事は無駄じゃないのか?」「もっと違う遣るべき事が有るのでは?」と自問自答をするようになります。 家族の中でも今後に関する意見にずれが生じ、父に対する心の「温度差」で悩んだりもしました。 私は「出来る事はなんでもする」兄は「今後の事も考えて行動する」・・・と、どちらも間違いではないのですが、私には「父が居なくなった後の事を考える余裕」なんて有りませんでした。 実際病院へ行くのも、担当医と話すのも、情報を収集して色々な意見を聞くのも私がしていたので、兄には「実感が足りない」と不満を持ったりもしました。 検査をしている間にも時間は経って行きます。「余命3〜4ヶ月」と言われてから、既に2ヶ月近く経っています。 腹膜播腫を調べていて、まず目に付いたのはY先生でした。数少ない腹膜播腫を手掛ける先生の中でも「神の手」と呼ばれる日本でも海外でも有名な先生です。 しかし・・・どうしても現在の所属病院が解らず、途方に暮れていたのです。テレビにも出たほどの先生ですから「雲の上の存在」としか思えず、今までの経験も有り「連絡が取れても取り合ってくれないだろう」と諦めておりました。 そうこうしている内、父の検査結果が出ました。本来は「原発を探す為の検査」だったのですが、診断結果は可也複雑な物でした。 予想される病名が「腹膜播腫」だけではなく「小腸カルチノイド」「特発性後腹膜繊維症」と増えたのです。 私達家族としては腹膜播腫の可能性が少なくなっただけで嬉しかったのですが、やはりSS先生は「どれを取っても治療法は無い」と言います。 小腸カルチノイドは腹膜播腫ほど死亡率は高く有りませんが、稀な疾患の為治療法を決めるのは難しい。 特発性後腹膜繊維症はもっと珍しく、癌では有りませんがSS先生は「癌でないのならこの病院では治療しない」と言います。 私としては「腹膜播腫じゃないどころか、癌でさえないかも知れない!」と希望が芽生えました。 しかし、最初に言われたのは腹膜播腫ですし、他の病名にしても「珍しい病気で、その可能性も考慮する」との事。 でも折角芽生えた可能性です。これに賭けない訳には行きません。 またも何も提案してこないSS先生へ「どうすればハッキリ病名が特定出来ますか?」と聞きました。 「残る手段として、開腹手術で直に細胞を摂取し、生検するしか有りません」 「開腹手術」と聞いた父は「もう良いっ!!このまま何もしなくて良いですっ!!」と部屋を出て行こうとしました。 SS先生は「患者本人の意思を尊重しますので、それは構いません」と父を止めようとはしませんでした。 父は今までの2度の開腹手術、検査の日々に気力を無くしていたのです。 その上「この手術は可也危険になります。手術自体で亡くなる可能性も有ります」と言われたので堪りません。 父は早々に「手術はしないっ!!」と診察室から出てしまいました。 「可也悪い状態」とは知っていましたが、「数年は生きられるんだろう」と思っていたのだそうです(後から聞きました)。 |
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