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| 父への告知2 |
これまでの詳しい「腹膜播腫」の説明や「余命宣告」の事は兄にだけ話して有りました。 母は気が弱い上、血圧が高くて通院していたので、話さずに済めば話したくなかったのです。母の涙も見たくは無かったですし・・・。 しかし、腹膜播腫でない可能性が有るのなら「手術を受けて欲しい、受けさせたい」と思うのは無理も有りません。 兄と話し合った結果、「本当の事を言わないと父は絶対手術を受けない。もう言うしかない」と結論を出しました。 勿論「小腸カルチノイド」「特発性後腹膜繊維症」に付いて私なりに調べ、その後の事も考えた上での結論です。 病院から帰った次の日、父と母を呼び、兄を含め家族で話し合いをしました。 まず私が父に聞いたのは「一番初めに言われた病名、覚えてるか?」でした。案の定父は「忘れた」と答えました。 兄が父に説明をしている間、私は解り易く書いたメモを更に解り易く書き直し、父と母に見せました。 「腹膜播腫」5年生存率5%。約半年から1年で亡くなるケースが多い。治療は難しい 「小腸カルチノイド」癌もどきと呼ばれ治療は困難だが、生存率は50% 「特発性後腹膜繊維症」癌ではなく、炎症が繊維化した物。ステロイド等の治療法が有効 そしてその時初めて父と母に「最初の診断の時、SS先生に余命は早くて3〜4ヶ月と言われた」と告げました。 父も母も黙って聞いていましたが、「腹膜播腫だったら・・・何も出来ないのか?」と。 私も必死に調べて絶望的になっていましたが、「それは俺が今調べて探している。まだ病院は決まってないけど、治療法は有る」と答えました。 流石に「治る」とは言えませんでしたが、「特発性後腹膜繊維症」である可能性が有る事、それさえも治療しないと命に関わる事、そして手術を受けないと何も出来ない事・・・を話しました。 父は「考えさせてくれ」と言い、自分の部屋へ戻って行きました。母は残りましたが、「何とかならないのかねぇ・・・」と繰り返すだけでした。 丁度その頃ですが、ネット上でY先生への連絡方法が解り、藁にも縋る思いでメールをしたのです。今思うとその時は殆ど期待はしてませんでした。 良い返事は頂けないだろうと思ってたのです。 その後父から「他の人の意見を聞きたい。おまえから親戚に説明してくれないか?」と頼まれ、今度は親戚会議をする事になります。 都合上兄は来れませんでしたが、父の兄弟(長男は遠方だったので電話で話しました)を集めて私から今までの説明をしました。 父も一緒に行きましたが「俺が居ると話しずらいだろうから、話が終わったら呼んでくれ」と車の中で待っていました。 当然皆ビックリし、家では泣かなかった母も泣き、叔母さん2人も泣いてました。 余り希望を持たせても、絶望感を持たせてもいけないと思い、私の考えは入れずそのまま今までの過程を話したのです。 叔父さんから「おまえはどう思ってるんだ?」と聞かれ「俺と兄は手術して貰いたい。もし腹膜播腫でも、父が望むならどんな方法でも治療法を探すつもりで居る」と答えました。 重要なのは患者である父の意思なので、「父に聞かれたら答えて欲しいけど、自分の考えを押し付けるのは辞めて欲しい」と付け加え、車に居る父を呼んで皆で酒を飲みました。 その時は皆笑っていましたが・・・・一番辛かった飲み会だったと思います。 そして父が「手術を受ける!」と決意した頃、何と!Y先生へ送ったメールの返事が返って来たのです。 それはY先生の所属する機関の方からのメールで「状況は解りました。一番早い診察で3月15日になります」と言う物でした。 私の住む千葉県から、新幹線を使っても6時間以上掛かる○○県。しかしそんな距離等関係有りません。 直ぐに「お願いします」の返事をし、私の念願であったY先生への診察が受けられるようになったのです。 その時、正直心の重石がスッと取れた気がしました。「最悪の結果でも道が開けた」と思ったからです。 しかし・・・手術日は2月28日。術後父が遠出出来るとは思えません。検査結果を待ち、「腹膜播腫だったら私一人で資料を持って行く」と言う事に決めました。 勿論腹膜播腫だったら・・・と言う事なので、父には告げず、母と兄に「トンでもない先生に見て貰える事になった!!」と伝えました。 |
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